「自閉症」の時代
近年、「自閉症」について多くの書物が書かれ、論じられるようになっています。
これは、21世紀になって突出してきた現象で、20世紀にはなかったものです。
しかもこれは、日本に限った話ではないのです。
著者は、21世紀という時代の1つの特徴が、この「自閉的傾向」の突出化には現れているのではないかと考えています。
その1例に伊藤若冲のブームがあります。
前世紀まで若冲は「奇想の画家」として、美術史においてはアウトサイダー的な存在に過ぎませんでした。
ところがその彼が、今では昨今の「日本美術ブーム」を引っ張る存在になっています。
あるいは、『君の名は』『天気の子』が立て続けに大ヒットになったアニメ作家の新海誠。
彼の作品もその「自閉症的」傾向が初期の段階からしばしば指摘されていました。
この2人に共通するのは、ディテールへの過剰なまでのこだわりです。
それゆえに画面は異常なまでに高精密になり、と同時に非常にフラットなものになります。
一言で言えば、非常にデジタルな感じがするのです。
デジタルとは、完璧なコピーと同一なものの繰り返しが可能になる技術ですが、この「高精密」で「完璧に同一なもの」の繰り返しこそは、まさに自閉症者が大好きなものです。
現代アートに革命を起こしたアンディー・ウォーホールを早い例として、「ミニマルアート」と呼ばれるものの現代美術、現代音楽における流行も、この同じ時代の「好み」に即したものなのではないでしょうか。
そしてこの時代精神をもっとも端的に表すのが、コンピュータの存在です。
開発の祖に当たるチューリング、ノイマンから始まって、スティーブ・ジョブスやフェイスブックのザッカーバーグなど、IT、AIに関わる科学者、技術者に「自閉症的傾向」が強いことは、つとに指摘されている通りです。
というか、そのような人たちの存在があってこそ、コンピュータ的なものは、ここまでの洗練を見たのです。
いまや「デジタル的なもの」は、否応もなく21世紀人の感性の基盤になった感があります。
とすればその底に自閉症的な美意識が伏在しているのは、むしろ当然ではないでしょうか。
本書は、上記の視点のもと、21世紀という時代そのものの「自閉症的傾向」を明らかにするものです。
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