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関口宏・保阪正康の もう一度!近現代史 帝国日本の過ち

読者から待望の声殺到の大人気シリーズ、ついに完結!昭和11年の二・二六事件から、昭和20年8月15日の玉音放送までの10年間。
満州事変、国連脱退、日中戦争、ノモンハン事件と、領土拡張への野望を隠さない日本軍部。
政党政治も、皇族宰相も、そして天皇も、その暴走を止めることはできなかった。
1941年12月8日、マレー半島コタバルへの上陸、および真珠湾攻撃によってはじまった対英米戦争は、やがて全世界の連合国47ヵ国を敵に回す絶望的な戦闘へとドロ沼化する。
いっぽう、中国の蒋介石は、妻の宋美齢がたびたびワシントンに飛び、日本を相手に戦うことの正当性を訴え、支援を取り付けることに成功する。
アメリカ、イギリス、ソ連は中国を連合国の主要な一員と認定し、この枠組みは、戦後の国際秩序にも反映されることになる。
ビルマの首都ラングーンから、蒋介石政権の根拠地・南京を結ぶ「援蒋ルート」によって送り込まれた武器弾薬、および支援物資は、中国の抗日戦争を支えつづけた。
日本軍はミッドウェー海戦をきっかけに太平洋でも敗戦を重ね、南海のガダルカナル島争奪戦でも壊滅的な打撃を受けた。
東南アジアでも「史上最悪の作戦」と言われたインパール作戦など兵站・補給を無視し、戦力差をことさら軽視し、精神力のみに頼った日本の戦争は、やがて、人間の命をも兵器として利用する「特攻」という史上類例をみない過ちへと突き進んでいく。
自らの責任を追及されることを恐れ、面子にのみこだわった軍部は、それでも戦争を止められなかった。
東京大空襲による大火災で、民間人に多数の死傷者を出し、沖縄上陸戦で多くの人が命を落とし、広島・長崎への原子力爆弾投下という悲劇を招いても、なお自らの過ちを認めようとしなかった。
当時44歳の天皇は、「無条件降伏」という重い決断を一身に背負う――。
昭和史研究の第一人者と名司会者が語り合う、戦争の悲劇。




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