自由が上演される
「自由」は教えられるのか。
参加者の「自主性」と「主体性」を引き出すとされるワークショップ。
しかしそこでもある種の「権力」は生じうるのではないか。
教師からも環境=アーキテクチャからも強制されない「真の自由」は可能か。
プラトン、ランシエール、平田オリザ、國分功一郎、ハイデガー、ジャン=リュック・ナンシー、ラク―=ラバルトらのテクストを援用し、演劇、演劇教育から日常のコミュニケーションまで射程に入れた画期的自由論。
教える―学ぶ関係の非対称性、ケアにおける暴力性、ハラスメント、中動態と政治、声と不和、俳優と観客……さまざなトピックから現代における自由と倫理を問う大型評論。
第65回群像新人評論賞受賞作「演劇教育の時代」を大幅に増補、書籍化。
「芸術について論じることで、見えていなかったものが見える、聞こえていなかったことが聞こえる、理解される。
そういう世界への道筋が考えられていたのです。
より良き上演があるとすればそれは、上演することが観客の感性の世界に別の意味をもたらすものなのです。
」(本書より)
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