共生感謝録 灰燼から繁栄時代に生きた一市民の記録
音楽家の家に生まれ育ち、幼少期に国民の一人として太平洋戦争を体験した。
戦後は日本で青年期を過ごし、その後研究職に就いた著者は、国内外を問わず様々な組織で活躍する人生を歩むことになる。
これまでの半生を振り返り、辿りついた人生のテーマとは。
<著者紹介>藤田慶喜(ふじた けいき)1935年音楽家の両親の4男3女の次男として東京に生まれる。
太平洋戦争、疎開、生母の死、自宅被弾などを経験する。
生活苦などから、多くのことを学び、麻布中高、東大に進学、鉄鋼企業を経て、国連機関で活躍する。
持続的社会を構築する人材の育成を目指して内外の大学で教鞭を取りながら学会・協会・NPOなどで活躍を続けている。
<目次>はじめに第1章 子供の頃第2章 麻布中、麻布高、東京大学の頃第3章 富士製鉄、新日本製鉄の頃第4章 家族、家庭のこと第5章 趣味(音楽、テニス、麻雀、旅)のこと第6章 国連機関の頃第7章 帰国後、大学勤務の頃第8章 まとめ<著者紹介>藤田慶喜(ふじた けいき)1935年音楽家の両親の4男3女の次男として東京に生まれる。
太平洋戦争、疎開、生母の死、自宅被弾などを経験する。
生活苦などから、多くのことを学び、麻布中高、東大に進学、鉄鋼企業を経て、国連機関で活躍する。
持続的社会を構築する人材の育成を目指して内外の大学で教鞭を取りながら学会・協会・NPOなどで活躍を続けている。
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