1850年、現在の岩手県花巻市で生まれた淵澤能恵は、3年間の米国留学後、同志社女学校などを経て、1905年、視察団に加わって韓国に渡る。当時の韓国は、1904年の日韓協約により、事実上の占領下。日本政府は、韓国の同化政策を進めていた。しかし能恵は日本よりはるかに男性中心の韓国社会の中で、自立の機会を奪われている女性を助けようと奔走、「明新女学校」設立に力を貸す。日本の学習院をモデルとした同女学校は、1909年に淑明高等女学校と改名、1948年には大学設立にこぎつけ、韓国有数の名門校「淑明女子大学校」となった――激動の近代日韓交流史の中で、韓国女子教育に半生を捧げた淵澤能恵の足跡を追い、日韓友好の道筋を探るルポ。※本商品は通常の書籍より文字数の少ないマイクロコンテンツです。【文字数:5524文字/単行本換算で10ページ】