本書は,前著『新しい精神分析理論』に続く『中立性と現実―新しい精神分析理論2』である。そのために,前著と同じように,「これらの米国の新しい精神分析の理論に自己表現の言葉を見出している」のが本書とうっかりみなしてしまうおそれがある。本書で岡野氏が一番語りたいのは,「その態度が……本来はそれ(精神分析)とは別のどこかに関係するものだ」ということで,この別のどこかはきわめて個別的な岡野憲一郎という「私自身の態度」であって,この「私自身」の「態度」が肯定し,受け入れることのできる精神分析をつくり上げることが私の目標なのです」。これは精神分析家としての大変な「岡野憲一郎宣言」である。なぜならば,この宣言は,岡野氏がフロイトと同等の一個の精神分析の主体になることの希求ないし自覚を意味するからだ。フロイトの技法論文をよく読めば―常に私が主張してきたように―フロイトにとってこの岡野氏の言うことがどんなによく当てはまるか。私の言うフロイト的治療態度は,患者との間で創造された,フロイトという彼自身の資質,教養,思想,文化にとって最も彼らしい「態度」だったのだ。そして岡野君も同じような意味での「態度」について語りたいと言っているのだ,と私は思う。小此木啓吾(「序文」より抜粋)